『夜秋は夜永』

あの日の事を鮮明に覚えてるかって言われると、覚えては居ないし全て忘れてるかって言われると、それは無い。欲しがりだった俺が何の気なしに呟いた言葉を、軽く掬いとってくれた事が今の関係に繋がるのだとしたら必然で当然な出来事。未だに読み返すこともあるくらい、何気ないお便りに頬を緩めて。幾度もくれるお便りに、一度たりとも面倒くさがったことも無く、毎度の事ながら幸せを噛み締めている。そこから何故か急速に仲良くなれた記憶あり。俺の『お手紙交換』の申し出も優しく受け止めてくれて、初めて手紙が届いた時には「届いたよ!」と写真を撮ってくれた事未だに思い出してはたまらなく嬉しくなる。そして愛おしくて堪らない。俺の独りよがりだった、君への一方的な愛だと思って落ち込むなんてことも偶にあって(たまに)。でも、全て受け止めてくれて、それを美味しそうに咀嚼してくれる。「ヒョンらしいね」と、普通じゃあそこまで嬉しくないような言葉も、貶されてるなんてこと思ったこともなくて、最大級の褒め言葉だと思って受け取ってる。なんなら、「セフニらしいね」って言葉も俺は何度も投げ掛けてるし、そこがまた、俺がセフニを大好きな理由の一つ。半分押しつけのように届けた、バスオイル。勝手にお揃いにして、大切な日の前日に使って気合いを入れる。そのせいで滅多に使わず、減らない。多分、セフニも一緒なんだろうなあ、と勝手な推測。だって、勿体なくてなかなか使えなくない? あ、あとは俺のお気に入りの紅茶も押し付けちゃってた。紅茶好きでよかったなあ、と届いた後に『紅茶が好きだよ』と教えてくれたお手紙を読んでほっとした。その後は、あはは、あれだね、俺の【夜秋の気紛れお菓子便】。最近はお仕事の関係で全く持って作れてないから出来てないんだけどさ、喜んで(?)食べてもらえてるって知った時はたまらなく嬉しかった。なんせ、美味しい物を作り上げて共有出来たらいいなあと思ってたから。バターが苦手(嫌い)なのに、何度もクッキーを送り付けてるのに毎度美味しく(?)食べてくれてありがとう、嬉しいです。あ、そうそう、tumblrも実は何度か読みにいったこともあるんだよ。セフニの世界観にちょっとの間、居座れる、あの空間がすごく好きだった。お題箱にたくさん言葉を届けるのも、俺の日課になっていたし。最近は減って寂しいと思っていてくれたら嬉しいな(願望)。忙しさを言い訳にするの嫌なんだけど、そういうことです。あ、俺の小さな唯一の我儘もあったね。あだ名、ニックネーム、みたいなもの。俺の名前と近い、何かが良い、なんて本当に我儘だなあ。夜永、よなが。セフニにぴったり。口に出して名前を呼ぶ行為、こそばゆいんだ、俺が。それにね、夜永の意味合いも調べれば、さらにこそばゆい。あ、違うんだよ、こう、長ったらしく語る日じゃなくてさ。今朝は少し肌寒くて、昼間は外に出てなくて分かんないけど、きっといい天気だったんだと思う。夜空が晴れていて綺麗だったから。『晴れてよかった』と心底思ったよ、君の日、だから。空気が美味しそう、だよ、今日。ねえ、今日も当たり前のように君のために、俺のために祈ります。───── 明日の俺が今日の俺より何倍も何百倍も、君のことを愛しますように。明日からの日々が笑顔で溢れますように。明日の君が今日の君より俺の事を愛してくれますように。──── 今日は特別な君だけの日。

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中秋、午後𝟓:𝟎𝟎の潜熱